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新しいスピリチュアルな考え方の提案・LORAN

新しいスピリチュアルな考え方の提案・LORAN

神様の創造-19

【神様の創造-19】


「宗教とはなんでしょうか?」


先ず、宗教の定義からしなければならないでしょう。

宗教法人法という法律が民法にあります。

以下はインターネットで調べた抜粋です。

(宗教団体の定義)第2条 この法律において「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう。
1.礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体
2.前号に掲げる団体を包括する教派、宗派、教団、教会、修道会、司教区その他これらに類する団体


(宗教組織としての傾向)
信仰の対象および内容を規定した教義がある。
教義や戒律にともに従う信仰のための信者団体である教団がある。
信仰の証として守るべき禁止事項である戒律がある。
暦の中で位置付けられた年中行事や人生の過程で行う通過儀礼などの儀式を行う。
その宗教の特徴となる象徴 シンボル を持つ。


多くのサイトに、概ねこのように書かれていました。

宗教を人が信じる理由は、自分の「神性」に気づいているからでしょう。

それはきわめて、漠然とした感覚なのでしょう。

しかし、自分では抗しがたい思いなのでしょう。

そのために、幼少時から神仏に抵抗感なく手を合わせることができます。

そして、「これが神様(仏様)だよ。」と言われて信じたのでしょう。


神仏は肉体次元の存在ではないのですから、神社仏閣にいるはずはないし、

神仏像が神仏であるはずがないのは当然です。

それでも、肉体次元でなければ理解できないのですから、仕方がないことかも

知れません。しかし、神社仏閣や神仏像を礼拝し信仰することを強要すること

は適当ではありません。


私自身は20歳代から50歳頃まで、仏教を信じていました。

いくらお経を毎日あげても、毎月標高2000mの霊山へ登山しても、健康状態が

悪化するだけでした。言われたことをそのままするだけでは、なんの学びにも

ならないことが分かりました。それらをすべてやめ、自分自身に集中し、開放

し、すべてに感謝と祝福することで、健康は回復しました。また、神仏と出会

えるようになりました。ありがたいことに何人かの神様のお声を直接聞くこと

ができました。日本、インド、中国、マヤの神様です。


私はお名前が分からない神様には、お尋ねしています。

「勢至菩薩」さまは、物凄く大きな金色の漢字で、「勢至菩薩」と書かれました。

お尋ねしなくても、殆どの神様は自ら名乗られました。

インドの「ラクシュミー神」さまは、私の上空に現れて、とても美しい声で

「私は愛と歓びの女神・ラクシュミーです。」と申されました。その後、寒さ

で震えている私に、「寒いから部屋へ入りなさい。」と言ってくれました。

マヤの「パカル・ヴォタン」神は、私にウォークインする前に、「私はパカル

・ヴォタンである。」とはっきり申されました。


私の家にも、仕事場にも、神棚や仏壇がありません。

私の両親は26歳の時に亡くなっているので、最初は仏壇に手を合わせていま

した。しかし、それは単に習慣でしかなかったのでした。

神仏への崇拝をやめたから、神仏と出会えたと言ったら言い過ぎでしょうか?

ただ単にやめただけでは、神仏と出会うことはできません。

自分を解放し、すべてに感謝と祝福をすることで出会たのでしょう。

なぜなら、神仏こそが、祝福そのものだったからです。

ですから、皆様が神仏と出会うことを望まれるなら、「皆様が祝福そのものに

なる」必要があります。


これは言葉で言うほど簡単ではありません。

先ず、自分を知る必要があります。自分と思っている自分は妄想です。

自分の信じている信条、信念、プライド、感情、常識などの制限を捨てるこ

とが必要です。

あらゆる執着を捨てなければなりません。お金や生命までもです。


日常の生活の中で時間を作ってする程度では、なにも変わることはできません。

いまなにが最優先なのかを決定し、選択しなければなりません。

いまの幸せが大切なら、変化を求める必要はありません。

いまよりも大切ななにかを求めるなら、日常を捨てなければなりません。


ですから、お釈迦様は出家することをすすめました。

イエス・キリストは、家族を捨てて、自分と共にいることをすすめたのです。


私は、自分の中の神性がそれをさせました。

26歳で両親が飛行機事故で亡くなりました。

50歳で健康状態が悪化して、死ぬ寸前まで行きました。

それで経営していた小さな会社を解散し、借金を支払うために全てを売却しま

した。

その結果、お金や土地や住まいや会社を失いましたが、健康は回復し、希望通

り神仏とも出会えるようになりました。無限に大きな歓びを得ることができま

した。それまでの喜びは、不安が作った単なる錯覚であったことに気づきました。


宗教は、いまの自分のままで救いを求めます。

神仏が救ってくれることを疑いません。


しかし、「天は自らを助ける者を助ける。」と言います。この言葉は、ドイツ

の社会学者、マックス・ウェーバーが著書に書いたと言われています。

この言葉は、とても真理を示していると思います。


しかし、大乗仏教では、阿弥陀如来の本願として衆生を救うことを決められた

のだから、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救われると説きました。

しかし、これはあくまでも緊急避難的な救済だと思います。

法然、親鸞が活躍した時代は、戦乱に次ぐ戦乱の時代で、京の都でさえ餓死、

病死の死体が多く放置されていました。貧しい民、百姓は、飢餓と病気に苦し

み、夜盗や強盗に苦しみました。そんな時代だったからこそ、救済が必要だっ

たのです。自らを救いたくても、字を読むこともできない人が多かったので

す。


しかし、現在の日本は、識字率は世界でトップクラスです。

余暇もお金もあり、当時から見たら夢のような生活をしています。

こんな世界にいながら、なにもしなくても救ってもらえるなどと嘯(うそぶ)

いています。これでは救われるはずがないでしょう。


殆どの人々は、宗教を信じていないと言っていても信じていることがありま

す。それは、「お金崇拝教」です。お金がすべてというのは宗教です。

こんな宗教を信じているのですから、自然破壊や戦争が終わりません。

自分さえよければいいのですから、当然の帰結です。


「天に唾(つば)をする。」の言葉通り、自分に結果が返ってきます。

アトピーやアレルギーの人が激増しています。

これは自然を破壊し、自然である自分の肉体を破壊しているからです。




【神様の創造-20】へつづく


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